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ラ・ポーム 50歳にして再度ラケットを持ちボールを追っかけ始めたおじさんのテニスライフを語っていきます。

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ラケットの変遷

テニス再開にあたってスポーツ用品店にラケットを見に行ったが、星の数ほどラケットがあるのに驚いた。
ちょっと大げさだけど、ちょっとありすぎじゃないかい?
これじゃあどれにすればいいのか全然わからない。

僕らがテニスを始めたころ、まだウッドラケット全盛時代で、新入部員である僕らは、スポーツ用品店で働いているOBが持ってきた2、3種類のラケットから選んだものだった。しかも、ほとんどの部員が選んだのがフタバヤというメーカーのウイニングショットといういかにも勝てそうな名前のラケットだった。まあ、ほとんどウイニングショットなど植えてる技術は当然ながら持っていなかったが・・・。

そして2年生になり、ちょっと先輩風ふかしたくなったりするとフタバヤゴールデンショットやカワサキのオールマンというのが次の定番になった。しかし、それでも満足できない、そして金はある、というとウイルソンのジャッククレーマーやダンロップのマックスフライなどのラケットを持つ者もいた。そして、当然ながら湿気で曲がらないようにラケットプレスに挟んだものである。まあ、この辺の話はウッドラケットに縁のない若者にはさっぱりわからないことであろうが、僕ら世代のテニスプレイヤーが集まると必ずと言っていいほど話題となることである。

そんな僕らの前に、デカラケというものが出現したのは大学2年のころだったろうか。少なくとも僕が初めてデカラケでプレイする人を見たのは大学2年の時の練習試合に同学年の奴が使っていたのをよく覚えている。なんだかどこで打ってもちゃんと当たる面の大きさで、なんじゃこりゃあ、というのが正直な感想だった。テニスってのは、木のラケットでボールを押して運ぶように打つんだぜ、なんて粋がってストロークしたところで、デカラケの鋭いボレーの餌食になるばかりであった。

ウッドラケットと言えば、僕の中で日本人男子最強プレイヤーと言えば、松岡修造でも錦織圭でもなく、だれが何と言おうと「福井烈」である。高校時代インターハイ3連覇を含む169連勝し、その後9年連続ランキングNo.1だった男である。今後、日本男子が4大大会で勝つことはあっても、彼のこの記録を破るものはないといないと思う。そんな彼が世界で通用しなかったのは、体格に恵まれなかったことよりも、ラケットの進化を受け入れなかったからじゃないかと思う。それは日本のメーカーが積極的に開発しなかったことも影響しているのかもしれないが、ただでさえ体格で劣るのに、ラケットの性能でも劣っていては勝つ術もない。ラケットの変遷が少し前後にずれていたら、日本人がグランドスラム大会で優勝する、という夢がすでにかなっていたかもしれない、と思うのは僕だけでなく、あの頃テニスをやっていたすべての人の思いではないだろうか。

話はそれたが、こうして大学4年生のころはほとんどのテニスプレイヤーがデカラケと呼ばれるウッド以外の素材のラケットを使うようになっていた。それとともに、当然ながらラケットプレスも必要なくなっていったが・・・(笑)

そしてその後デカラケから厚ラケになっていったのかな。その辺の歴史は、しばらくテニスを離れていた僕にはちょっと分からなくなっている。だから、テニス用品店に行っても、どんなラケットを選べばいいのかがよくわからないのである。
道具 | 投稿者 ラ・ポーム 22:18 | コメント(0) | トラックバック(0)

スクールに参加

友人が紹介してくれたテニスクラブのスクールに参加した。

とりあえず初中級クラスだがそれでもなかなか厳しかった。

おとといのOB会で当たらなかった理由がだんだんはっきりしてきた。

初心者にありがちだが、当たらないのでは、という不安感からボールに近づきすぎたのだ。

特にフォアハンドにその傾向が顕著に現れている。

バックハンド、特に片手バックハンドは打点が右足前(右利きの場合)と、

ほとんど決まっているため、ある程度の練習を積むと安定してくる。

だから、中級者にはバックは得意だけどフォアが苦手、と言う人が多い。

人間は体の前でいろんな作業をすることが多いので、体の前で打つフォアハンドは、

ある意味慣れた作業であり応用が効かせられるのでどこでも何とか打てる。

それが逆に安定した打点で打てないことにつながりミスが多くなるのだ。

一方バックハンドはいつもの使い方と反対になるので、不器用な半面、

いったん的確な打点をつかむと、そこしかできないのだから安定してくるのだ。

とにかく自分の場合フォアハンドは意識して打点を遠ざけないとうまく打てない。

方向性も自分がイメージするものとはかけ離れているが、この辺も慣れれば戻るだろう。


ボレーに関しては、コーチのアドバイス通りラケット引きすぎないことだ。

テイクバックは(そもそもボレーの場合テイクバックはほとんど不要だが)、

視界の範囲内にラケットがなければいけない、ということを守らなければいけない。

あとは横ぶりではなく、イメージとしては上から下にというスイングが自分には必要だ。

スライスのストロークは問題なく打てるのだから、その延長、テイクバックのないストロークの

イメージでよいと思う。


県の年齢別大会で優勝するようなコーチに教えてもらえるのだからぜひスクールに参加しようと思う。
技術 | 投稿者 ラ・ポーム 20:44 | コメント(0) | トラックバック(0)

OB会

7日の日に、大学テニス部のOB会があり、かなり久しぶりに出席した。

出席者は30人ぐらいで半数が現役で、僕を含む2名を除きみんな平成の卒業や入学世代。

若い子だと平成生まれだ。

もう僕らより上の世代、というか昭和世代はほとんど顔を出さないらしい。

大学卒業後、就職して転勤族であったためになかなかOB会に顔を出すことができなかったが、

もうちょっと近くにいればもっともっと参加できるのにとても残念である。


わが硬式庭球部は、圧倒的に女子が多く軟弱な部が多い中で、一番厳しい部と言われ、

また礼儀にも厳しかった。

最近の学生たちはちょっと違うのかな、というイメージを持っていたが、

なかなかしっかりとした挨拶ができ、初めて訪れた得体のしれないOBに対しても、

入学年次、卒業年次と学部と名前を名乗って一人一人が挨拶してくれた。

そういう伝統と言うのは何十年たっても変わらないものなんだなと、

懐かしさとともに喜びをかみしめていた。


OB会は昼の部と夜の部があり、時間の関係で昼の部のテニスだけ出席したが、

おそらく7年ぶりぐらいになるテニスはそれはそれはひどいものだった。

なんてったってボールに当たらない。

特に動きながらだとまずだめ。

だから左右に振られてのリターンやボレーはからっきしだめである。

久しぶりなんだから体力的なものや動きに不安はあったものの、

自分のイメージ通りに打てない、というのがかなりショックだった。

これぐらいの強さで打てばコートのライン際に行く、とか

これぐらいの角度で打てばサイドラインのあのへんに行く、

という感覚と実際に打ったボールがまったくと言っていいほど合わなかった。

ひどいもんだね。ここまでひどいとは正直思わなかった。

打てないんだから、すぐにラリーは終わって体力なんていらない、という感じ(笑)


あと、僕らのころはほとんどの球がフラットまたはスライス系だったけど、

今はスピン系がほとんどなので、ボールの高低に対する対処もだめだった。

思ったより低い位置にボールが来て、それでまた当たらない。


でも、久々にテニスができ、とても清々しい気分になれた。



テニス再生元年の第一日目としては充実した1日だったと思う。
日記 | 投稿者 ラ・ポーム 06:10 | コメント(0) | トラックバック(0)